スピリチュアルカウンセリング体験記 (1)


2008年7月27日。
オープンキャンパスで朝の8:30から勤務し、16:28に大学を出た私は、ちょうど到着したバスに駆け込み、16:45にはもう福岡の街中を走っていた。
怖い。
“あなたみたいな人は、もうちょっと準備ができてから来なさい”、なんて追い返されるんじゃないだろうか。
引き返すなら今だ。
では、引き返す?−
いや、この好奇心を押さえられない。
ことごとく間に合っていく青信号。
16:51、天神南駅。
フォーカシング(=カウンセリングの一領域)の若手O田氏は、メモをとりながら私を待っていた。
二人で駆け下り、飛び込むと、16:52の地下鉄が発車した。
もう引き戻せない。
「O田くん。ありがとうね」
「いえいえ。どうなるんでしょうね(笑)」
1ヶ月前、この話を持ってきたのはO田氏だった。
O「僕が行っている精神病院のドクターの話なんですけどね。そのドクターの知り合いの臨床心理士の方が、『見える』ようになったもんだから、カウンセリングで話聴いているよりも、見えたものを言っちゃう方が早い、ってなって。で、カウンセリングをもうやってられんくなって、常勤だった心理士を辞めて、」
森「は、心理士辞めた?!」
O「ええ、で、今は『そっち』の方で開業を、このごろ始められたらしいんです」
森「そ…、『そっち』って…」
O「分かっちゃうみたいですよ。先が見えるというか。詳しくは僕もまだよく知らないけど、『あなたはこっちに行くほうがいい』、とか分かるのかもですね。森川先生、そういうの興味おありじゃないですか?」
森「あるあるあるある。」
O田氏は私の返答を予期していたようで、
O「でしょう。一緒に受けにいきませんか。で、HPに体験記をお書きになったら。」と、すらすら言った。
森「そ、そうね。いやーしかし、見えるんかー。私たちだって、『この人、こうするよりこっちのほうがいいんじゃないかな』って思うことはあるけど、そりゃ今の時点の、しかも『そうかもね』程度の話であって、先のことは見えんからね。」
O「僕たちは、はっきりどうしたらいいとか確実なものは見えないから、クライエントさんに任せるということができるけど、もし先が見えていてそっちに行ったらぜったい危ない、っていうのが分かるなら、カウンセリングで話を聴くことに徹して、見守ってるなんてことは、やってられないかもですね。」
森「そうなってくると、心理療法としてのカウンセリングの存在意義ってあるのかな。そういうふうに、先が見える人が出てきているなら、クライエントさんはそっち(スピリチュアルカウンセリング)に行くほうが幸せかもよね。」
O「どうなんでしょうね、先が分かっていて知って動くのが幸せなのかどうか。そもそも、先ってどの程度はっきり決まってるものなのか。その人に、いろいろ聞いてみたくないですか。」
私たちは、「その方に聞けるのなら聞きたい点」を挙げていった。
・ 人間の未来は、どの程度決まっているものなのか。
・ カウンセラーが予知できたとしても、「こうしたほうがいいですよ」と伝えること自体によって未来が変わったりしないのか。
・ スピリチュアルカウンセリングをするようになった今、心理療法としてのカウンセリングについてはどう感じておられるのか。
・ そういう人から見て、今の世界はどういうふうに見えるのか。
・ 『分かる』ことは幸せなのか。
・ 他人が明らかに間違った方向へ行っていて、もどかしかったり辛くなることはないのか。そんな時には、どうしておられるのか。
・ どうやって、『分かる』ようになったのか。
・ 『分かる』ようになるための修行はあるのか。
最後2つの論点をO田氏が挙げるのを聞いて、私は、彼もできれば超能力を使えるようになりたいと思っているのだな、と知った。
フォーカシングを愛し、カウンセリングを生業とし、研究者というものにも向いているO田氏がすごい早さで(私が覚え切れないぐらいの)数々の論点を挙げていくのを聴きながら、私は、(君みたいな人は、この上、不思議な力なんてなくてもいいやん?)と言いそうになったが、(私も、そして誰しもが、傍から見ればそうなのかもしれない)と思い直した。
かくしてO田氏は、スピリチュアルカウンセラー山口先生の個人カウンセリング(1人につき1時間)の予約ばかりでなく、なんと、カウンセリングのあとで山口先生にいろいろご質問させていただくというインタビューまで、ドクターを通してお願いし、そして、山口先生がご承諾くださったとのことだった。
スピリチュアルカウンセリング体験記 (2)に続く